先日、所要で出かけた先で、そのすぐ近くに自分の親の出身校が移転していたことを思い出しました。ずっと前に亡くなった親の経歴のことは、ぼんやりとしか知らなかったので、卒業年度と専攻くらいはきちんと知っておきたい、それが確かめられる資料を見せてもらえないか頼んでみよう、と、そんなことを思いつきました。それで早速そこへ足を運び、まずは通りに面した案内板を見て事務室のある建物を確認し、敷地に入って歩いて行くと、数分で迷うこともなく事務室の前にたどり着きました。窓口の女性に事情を話すと、彼女は受話器を取って誰かと話をして、それから私を2階の「同窓会」という札が掲げられた部屋に案内してくれました。その部屋にはひとりの年配の男性がいて、すでに「同窓生名簿」を用意してくれていました。父母の名前はすぐに見つかり、さらにそのすぐ近くの箇所には父の親友だったIさんの名前を見つけたので、私は思わず「あっ、Iさん!」とつぶやいてしまいました。許しを得てそれらのページをスマホで撮影すると、私は男性に礼を言って部屋を出て、1階に降りて窓口の女性にも礼を言い、そのまますたすたと歩いて敷地を横切り、通りに出ました。この間、ものの30分もかからなかったと思います。
目的を果たし、両親やその友人のことを思い出して小さな幸せに浸りながら、同時に自分が何かそれとは別の種類の幸せを感じていることに気づきました。はて、と思ってその何かの出どころを辿っていくと、思い当たることがありました。それは、今さっき出入りしたキャンパスに、さえぎるものが何もなかったこと、その開放感から来たものだ、と判りました。どこの大学にもある高い塀、頑丈そうな門、重厚な書体の銘板、ところによっては守衛所と警備員、そういった類のものがなく、おもて通りの歩道からの段差さえなく、学生でも職員でもない人間がすーっと入れて、アポも事前の問い合わせもない思いつきの要望にまるで当たり前のように対応してくれて、そのことに軽くお礼を言ってすーっと出てこられた、その自由で柔軟でオープンな空気に喜びを感じたのだ、と。
思えば人は、何かをやろうとしてもそれがすーっと出来ることなど、滅多にないのが常でしょう。すいすい行くなど百に一度とか、あるいは千に一度くらいかも知れません。そんな稀なすいすいが、奇行とまでは言わなくとも、今回のどちらかと言えば突拍子もない思いつきで出来てしまったものだから、後になって思い出してそのすいすいぶりに驚いた、という訳ですね。
さらにまた、何十年も昔のことなので、建物も立地も今と違っていたとはいえ、あの空気がこの学校の伝統なら、そんな中で青春を過ごした父母は幸せだったに違いない、と、あまり深い会話が出来ずじまいだった両親のことを思えたのが、幸せ感を増してくれたのだ、とも思います。