もくもくカメラのブログ

趣味の工作のこと、日常生活の中で気づいたこと(ときには文学や外国語やその他のこと)を書いてます。

ギンズブルグ「ある家族の会話」作中の人物分類ゲーム…由来はダンテ「俗語論」か?

 イタリアの作家ナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」には、著者の家族に関する次のような描写があります。

そのころわが家ではこんなゲームがはやっていた。… それは知人たちを鉱物、動物、植物に分けてみる遊びだった。… パオラはこのゲームを自分で発明したと言っていたが、だれかがこの分類法はダンテが『俗語論』で試みたものだと彼女に言ったそうである。ほんとうかどうか、私は知らない。」(須賀敦子訳 白水Uブックス (No.120) 123〜124ページ)

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 私は、著者も知らなかったというこの人物分類ゲームの由来について、本当のところはどうなのかを知りたいと思ったのですが、手当り次第に検索したところでネット上にその答えは見つからないので、とにかく「俗語論」を読んでみることにしました。俗語論は古本なら邦訳版の入手も不可能ではありませんが、原文をAIに訳してもらうことにしました。先々月にアップした記事がそれです。

moku2camera.hatenablog.com

moku2camera.hatenablog.com この訳文の第1巻 第16章 と 第2巻 第2章 に、手がかりになるかも知れない箇所がありました。以下、ChatGPT編からの引用です。

・「俗語論」第1巻 第16章 より:

…それは、神(最も単純な実体)が動物よりも人間の中に、植物よりも動物の中に、鉱物よりも植物の中に、火よりも鉱物の中に、そして土よりも火の中に、より強くその芳香を漂わせるのと同じである。…

・「俗語論」第2巻 第2章 より:

…では、その題材とは何か? これを明らかにするために、人間の精神が三つの側面を持つことを考えよう。すなわち、**植物的(vegetabilis)、動物的(animalis)、理性的(rationalis)**である。人はそれに応じて三つの道を進む。

    植物的な側面では、人は有益なもの(utile)を求める。これは植物と共通する。
    動物的な側面では、人は快楽(delectabile)を求める。これは動物と共通する。
    理性的な側面では、人は道徳的な善(honestum)を求める。これは人間に固有のものであり、天使の本性に近づく。

人間の行為はすべてこの三つのいずれかに属する。…

 ここには確かに「ある家族…」のゲームと共通の言葉がありますが、どうでしょうか。読み比べる前に、もう少し「ある家族…」にある描写を確認しておきます。

アドリアーノ・オリヴェッティは鉱・植物。パオラは動・植物。ジーノは鉱・植物。もう会わなくなって久しいラゼッティ氏は純粋の鉱物でフランセスさんと同類だった。

 父は動・植物。母も同じ。

   …

 純植物、すなわち純粋に空想的な人間というのはこの世にほとんど存在しないはずだった。…」(須賀敦子訳(同上)124ページ)

 著者ナタリアの家族が興じていたこのゲームが具体的にどんな基準で人物を分類するルールだったのか、「空想的」ならば「植物」とすること以外は不明ですが、タイプの分類ではあってもランクの分類ではないように思います。

 「俗語論」に戻ります。

 「俗語論」第1巻第16章の上記引用箇所は、「地上にあるものはどれも神の愛を受けるけれども、その程度には『土<火<鉱物<植物<動物<人間』という大小関係がある」という意味に読めます(私はクリスチャンではないので微妙なところは判りませんが)。だとすれば、これは単純なランクの分類であり、鉱物、植物、動物の関係は、鉱物が劣等で動物が優等、植物はその中間、という話になるでしょう。

 つぎに、同第2巻第2章の上記引用箇所は、「人間の精神は『有益なものを求める植物的側面』と『快楽を求める動物的側面』と『道徳的善を求める理性的側面』とを持つ」と、文字通りに読めそうです。だとすれば、これはタイプとランクの複合的な分類であり、ランクの観点からは理性的側面が優等で動物的側面が劣等、植物的側面はその中間、という話になると思います。

 ここまで整理してから、改めて件のゲームと「俗語論」の上記引用を比べると、どの方向から見ても、ある部分で重なっても別の部分では重ならず、両者間に類似性はあるにせよ、はっきりした関係性や道筋のようなものは見当たりません。

 結局、「ある家族…」の人物分類ゲームの由来は、今回調べては見たけれど残念ながらわからなかった、誰かが「俗語論」から着想を得たのかも知れないし、著者の姉パオラが考えたのかも知れないし、あるいはいずれでもない別の経緯があったのかも知れない、どれにも可能性があるとしか言えない、というのが私なりの結論です。